昨日、私の卒業高校、大分県立大分雄城台高校の同窓会に初めて参加しました。毎年やっているようですが、今年平成19年は、私等卒業年度3回生の当番と言うことで、大勢の3回生が参加していました。先生方とは18才から逆算すると、約29年ぶりの再開となります。(同期、3回生だけの、本同窓会に向けての決起大会的同窓会が、2月に先行して行われました。)同窓生の多くは47才・48才のおじさん・おばさんになっています。
ここで当時の事を振り返りながら(^_^)。
その頃、大分県では高校進学に際して、合同選抜と言う方式がとられていて、学校を上野が丘、舞鶴、そして雄城台の3校で、本人の進学希望もほぼ無視されて、入試の成績順で振り分けられていました。正直、「何で雄城台なの?」と言う生徒も多く居た様に思えます。卒業生すらなく、どんな学校かも当時では想像も付きませんでした。私も例外ではありません。市内中心部の中島から大分川を隔てて舞鶴、上野に続く丘の下のトンネル越えて、南大分。それからさらに南へ、未知の世界、雄城台と言う思いも寄らぬ遠い距離を3年間チャリで通学する羽目になってしまいました。1回生は6クラス、2回生で8クラス、そして私たち3回生でどうにか上野・舞鶴と同じ10クラス編成になりましたが、入学時は管理棟(在校時に完成引っ越し)もなく、プール(卒業まで無かった)もない学校でした。今でこそ、ラグビー部・野球部・水泳部その他部活動で頑張っているようですが、私たちの時代にはそれらの部活もなかったので、正直ピンと来ないところもあります。しかし、その分、伝統校では体験できなかった、学校に対する新鮮さと、校則もない自由さと、今は亡き、初代藤原校長・寺尾教頭を始め、若い優秀な先生方の暖かい熱意を浴び、決して勉強だけではなく、校訓の「誠実・自主・創造」を基に、自分らで学校と人を造っていくんだという様な意識は生徒共々、高かったと思います。そしてその意欲に対するまとまりも、自然と培われ、それなりに有ったんじゃないかと思います。今ではこの高校を卒業して、素直に良かったのかな?と言う気持ちになっている自分がそこに居ました。
最初の卒業生、1回生ですらようやく50才になろうかという、若い学校ですが、どうにか社会でも責任有る立場になっています。約30年ぶりと言うこともあり、一廻りして、子どもが高校生という、親の世代になっている人が多いようです。当時担任の先生方も、30才前後だった方が多く、まだまだ若いと言う印象でした。
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